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被災296日めの気仙沼

2011年3月11日。
今年はこの日からすべてが始まった気がする。

目の前でぼくの大好きな気仙沼が流された。
コヤマ菓子店も自宅も、黒く惨いものにあっという間にのまれていった。
自然現象というにはあまりにも悲惨な惨劇。

ぼくはコヤマ菓子店の工場で揺れて、コヤマパパと河北新報ビルに避難、
津波と火災、マイナス6度の寒さにも耐え、映像を撮りながら70人のみなさんと協力し、
翌朝市民会館へ。どうにか生き延びた、どうにか。

目の前まで迫ってくる火災、
生きるか死ぬかの瀬戸際、自分の運命を信じた1日だった。

着の身着のままだったので手持ちのお金もわずか。
そんななか、震災直後、銀行で5万円までおろせると聞いた。

コヤマママに
『お金おろせるんだって!!並んでおろしてくるからどの銀行の口座に入ってんの?』
て言ったら、

「大丈夫、どの口座にもお金入ってないから。」

『え゛?!マジで?!なにそれ…』

15日の支払いで全部おろして金庫にあったため、
口座にはいくらも入ってなかったそうだ。金庫は店ごと流された。

その時初めてリアルに“無一文”を感じた。
何も…無い。財布の中のお金だけって…恐怖。

でもお世話になっていた貝塚家のみなさんのおかげで
ただの1日もひもじい思いをしたことはなかった。
心も体も健康で過ごせた。毎日笑顔があった。
一生忘れることのない感謝の気持ちは、言葉では言い表せない。

そして多くの救援物資。
段ボールが山のように届いた。それも世界から届いた。
ご恩返しは、行動で表現しよう、自分らしく。

たくさんの方の協力支援のもと、絆カステラを発売できた。
8月には新しいお店もオープンできた。
素晴らしいスタッフのみんなとクリスマスケーキを販売できた。
まだまだ大変だけど、やっていける道が見えた。

なにからなにまでサポートしてくれた親戚のみなさん。
家族、親戚との暖かく太い絆を再確認した。小山家の底力を感じた。
気付けばいつも周りにはバックアップがあった。

おだづなよTは2000枚以上売れた。SMAPの香取くんも来てくれた。
発足して以来続けてきた気楽会の定例会は震災中も継続できた。
気仙沼市震災復興市民委員として、この港町の復興計画にも携われた。
ぼくが作詞したいつかの港町を台湾の人気アーティストとともに歌えた。
ひとめぐりツアーは、大好評で参加者の皆さんにぼくらの思いが伝わっている。
同業者のきらり輝く素晴らしい人たちとも知り合えた。
心から尊敬するコピーライターにたくさんのことを教えられた。
サンデーモーニングにパネリストとして出演できた。
小さな山が大きく動く会が出来て東京の豪傑たちと共に歩んでいける。
謎のマスクマンMrウミネコも復活した。
書ききれないくらい、毎日が笑顔満開宣言、
情熱エンジンの給油は、勝手にいつだって満タンだ。


津波と火災で多くの方が亡くなってしまい、中学校の同級生は7名も犠牲になった。
家族親戚を無くした仲間は数えきれない。
現実だけど、しばらくはこの出来事を理解できた人はいなかったはずだ。
それでも月日が経つごとにそれが日常になっていった。

生きる意味、自分の存在意義を問うた。
とにかく、やれることをやるしかない。

おこがましいけど、無念にも天国へ行った仲間の思いを
彼らが生きていたらこんなにも頑張っていたであろう行動を
いま、まさにいま、自分たちが協力してやらないでいつやるかって。

日本全国、世界から、多くの方と知り合い、
たくさんの、本当にたくさんの仲間が出来た。
同世代の仲間たちはタフになり、いよいよそのポテンシャルを出し始めている。

それぞれ生きる意味を問い直し、
大きく失ったものを、未来への希望に変えて進む。

ぼくは、とにかくすべてにおいてまだまだだ。
焦る必要はないけど、しっかり積み重ねていく。

ぼくは誓った、

人生をかけてコヤマ菓子店と気仙沼を必ず絶対復興させる!

復興するまで言い続けるぞ。

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12月31日の読売新聞

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コヤマパパ制作の「迎春ケーキ」

「とうほく復興カレンダー」
2011年12月31日のラストに登場!

http://www.re-tohoku.jp/movie/4908

最後にいつもブログを見て頂きありがとうございます!
これからも毎日更新しますので、どうぞよろしくお願いします。

それではよいお年を!!!
おだづなよ!負けてたまるか!気仙沼!!

来年も365日頑張りますp(^^)q
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