被災1078日めの気仙沼

昨日から仙台オープン病院に入院してる。
胃のポリープをとるだけだから大したことはないので大丈夫。

昨日の午後に早速内視鏡で手術。
睡眠導入薬て眠らされて、気づいたら終わってた。
その後も記憶が途切れ途切れで夜までぼーっとしてた。
ラインもFacebookも返信してたんだけど、記憶にない。

今日も胃カメラ飲んで検査。
まだ水も飲んじゃダメだって。
なんだろうなあ、唐揚げとハンバーグと餃子食べたい。

体力がかなり落ちてるから退院したあとが心配だ。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災171日めの気仙沼


今朝は東京から来た小山の信ちゃんたちと気仙沼の被災地めぐり。

1時間ほど見て東京に帰る。


詳細は後程。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災164日めの気仙沼


写真は仲町大通り。
震災後12日後のものだ。

今日仲町大通りの七夕飾りが復活する。数は少ないけど、こころのこもった記念すべき宝物だ。

やまなか食品さんの近くに飾るらしいので是非チェックしてみてください。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災97日めの気仙沼

東京3日目。
今朝も7時から打ち合わせ。
朝から情熱エンジンかけていこう!

今日も1日頑張りますo(^-^)o

被災34日めの気仙沼


昨日は病院で花粉症の薬を出してもらった。被災した人は医療費全額無料だそうで、さすがは日本と感心した。

ふと立ち寄った自宅付近のがれき置き場から、大変なお宝を発見。気楽会の気仙沼ホルモンのれんが出てきた。これは気楽会で初めて気仙沼ホルモン屋台を出した時にみんなで作ったもの。言わば気楽会のプライドだ。4年前に赤い布を買ってきてペンキで書いた。これが出てきたのは、何かの運命か。

と言うのも、気楽会の復活イベント第1弾は気仙沼ホルモンの振る舞いだから。

今週の日曜日に、全国から訪れているボランティアの皆さんに感謝の気持ちを込めて、ホルモンの振る舞いをやることになった。

【気楽会復活イベント第1弾~感謝の気持ちを形に(仮称)】

日時:4月17日(日)AM10:00(集合)11:30焼き方開始予定。
場所:すこやか(東新城)

内容:ボランティアの拠点施設になっている「すこやか」で、全国から支援に来ていただいているスタッフの皆さんに、気仙沼ホルモンを食べていただき元気になってもらう。同時に、地元の若者みんなで感謝の気持ちを伝える。

今回の津波で備品が全部流されてしまったので、全て県外から買ってくる予定。経費は親友マウンテンマウスからの義援金を使う。本来は被災した僕らへ使うのが筋だけど、まーしーに連絡したら、僕らの考えに同調してくれて是非使って欲しいと、逆に喜んでくれた。ありがとう。

個人的には気楽会の今後の活動については、気仙沼の基幹産業である水産業をどう復興するかを話し合っていきたい。やはり気仙沼は水産都市、三陸の港町気仙沼としてどう再生していくか、これには尽きると思う。僕らで一体何ができるのか、今はピンポイントで答えは出ないだろう。それでも地元の若い人間がやれることは必ずある。もちろん、個人的には家業のコヤマ菓子店復活が一番大切だ。そして、コヤマ菓子店はやはり港町気仙沼になければ本当じゃない。

家業、地域、まちづくり、前向きに一歩一歩出来ることからやっていこう。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災33日めの気仙沼


写真はたいせいくん(3さい)と僕(33歳)。

先日貝塚のけんちゃん家族(仙台在住貝塚家長男)が気仙沼に来た。けんちゃんファミリーはパパけんちゃん、ママあやさんと、たいち、だいすけ、たいせいの男3兄弟。仙台のなおこちゃん(貝塚家次女)も来てて賑やかな週末だった。

たいせいと野球をして遊ぶことになった。実は小さい子供の相手をする経験はほとんど無い。

僕がボールを投げる、たいせいがバットで打つ、僕がボールを拾う、ね、

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

で、これ、いつまで続くの?

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

ボールを投げてバットで打つ、

拾う、

ようやく理解した、

これってたいせいが飽きるまで延々続くのね、知らなかった。しかも子供は疲れ知らず、底知れぬスタミナ。

『あの、ギブアップなんですけど…。』

かなりやられて汗かいちゃった。

その後お風呂に入ってると…

ガラガラ…

え゛!?

どうすんの??

どうすればいいの?

裸のたいせいが入ってきた。

震災時は地震にも津波にも冷静だったけど、これには戸惑っちゃった。

子供をお風呂にいれるの初めてだよ。

とりあえず、おけで体を流してやった。

『シャンプーする?』
「うん。」

えーするんだ(・・;)
どうやるんだ…

『からだあらう?』
「うん。」

えーやっぱ無理だよ~
ちんちん小さい~

と、戸惑ってると、勝手に風呂場で遊びだすたいせい。あ~風邪ひいちゃうよ。とりあえずお湯をかけて体を冷やさないようにして。あ~ちょっとま、とりあえず湯船に入れて温めて…あ~あ~ちょっと、あ~と、遊んであげてたら完全にのぼせた…。

聞いたら家族以外とお風呂に入るのは僕が初めてだそうだ。なぜか気に入られちゃった(*^_^*)
すっかり仲良くなったよ。また遊ぼうね。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災32日めの気仙沼


昨日は気楽会の定例会。10時になるとコヤマ菓子店跡地に続々と若い力が集まってきた。周りはがれきの山、椅子もテーブルもない青空定例会だ。それにしても沢山集まったもんだ、その数20名。単純に何でも出来そうな気がしてきたぞ。

久々に会う顔と被災時のことや、これからのことを話した。全員で気楽会Tシャツを着て記念写真。その後魚市場の屋上に移動し、作戦会議。

早くも来週17日(日)に気楽会の震災後初のイベントが決まった。アイデアが出たらすぐに動きだすのが僕らのいいところ。詳細は後程。

気仙沼を楽しむ会、気仙沼を楽しくする会で気楽会。

こういう状況だからこそ、(未来への)楽しみを作る、楽しみが希望になり、次の一歩を踏み出す力になる。

まちづくりサークルとして、これからの新しい気仙沼市の復興へ、気楽会は仲間と協力して出来ることからどんどん活動し続けます。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災31日めの気仙沼


昨日、なんとHawaiiからの救援物資が届いた!しかも千羽鶴と子供達が書いてくれた手紙も沢山入っていた。送り主は仙台出身でハワイ在住の日本人まどかさん。震災後にこのブログを読んで、ハワイの有志のみなさんで送ってくれたのだ。

まどかさん、ハワイのみなさん、心のこもった贈り物、僕は一生の宝物にします。

Hawaiiから元気頂きました(*^_^*)

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災30日めの気仙沼


マグニチュード7.1の余震で気仙沼は震度5強を観測。仙台は6強で県内ほぼ全域で地震直後から停電になった。

翌日夕方に電気が復旧すると、家の中が一気に明るくなったのはもちろん、人の表情も急に明るくなった。

それにしても、ある程度ライフラインが復旧した後に大きな地震でまた停電というのは、さすがにこたえる。

せっかく頑張ってやってるのにまた逆戻りか…と精神的ダメージを受けた人は少なくなかったはずだ。

早急に電気が復旧して良かった。

今日は11時から市民会館で『ちばきや』さんのラーメン炊き出しの手伝いをする。気楽会からも7名ボランティアスタッフで手伝ってもらうことになった。雨の中で2500食だから相当大変だ。

ちなみに明日(10日)は気楽会の定例会。10時より魚市場前コヤマ菓子店跡地。再スタートの意味を込めた気楽会Tシャツ(晃宏自主制作)をみんなで着たいと思う。

写真は救援物資でいただいた飴。“かまくらめいぶつ良縁厄除金の大仏飴”と書いてある。
『あ、これは裕隆用だねぇ(笑)』と、みんなに言われた…。

ふん、そんなの要らないよ、と言いつつ2個舐めました…。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災29日めの気仙沼


昨日の大きな余震でまさかの停電。ケータイの電池1メモリ(涙)。家族、貝塚家は無事です。いっぱいメールもらったけど、電源ないので返せない。すいません。大丈夫です。早く電気が復旧しないかな。とりあえずこんなとこです。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災28日めの気仙沼


今日はうちのコヤマママ(都さん)の近況報告。

現在は古町の貝塚さん家で家族3人元気に過ごしています。

先月11日の地震発生時にはコヤマ菓子店の1階に居た母、その後、大津波警報のサイレンがけたたましく鳴る中『近所のおばあちゃんに声かけてくる!』と僕らと別れ自宅のある幸町方面へ歩いて行ってしまった。去年の11月まで地区の民生委員をやっていたので近所のお年寄りが心配になったんだろう。そして間もなく津波がやってきた。母のことだからうまく逃げたろうと思ったけど、津波の猛威、近所の建物が次々壊され流される光景を目の当たりにし、さすがに心配になった。どうか無事でいてくれと願った。

母は近所のお年寄りに声をかけてから南が丘(市民会館)へ避難してた。津波発生後、ケータイが繋がっているときに母とはすぐに連絡がついて無事は確認出来た。11日は母は市民会館でお年寄りたちと一晩過ごした。翌日の朝、河北新報ビルに避難していた僕と父が市民会館へ行き、家族3人無事に会うことが出来た。生きてて本当によかった。

母の日常は、毎日避難所に出かけて、近所のお年寄りたちの安否確認の手伝いや話し相手をしてお世話している。どちらかというと身体が丈夫な方ではないので、家族としてはいろいろ心配だ。でも避難所の人達も喜んでいるみたいなので、それはそれで母の役目なんだと思う。

家族それぞれの役目があり、日々それぞれ歩いている。お世話になっている貝塚さん家の大きな理解もあり、心身ともとても健全に生活出来ている。とても幸せなことだ。感謝しています。

親戚の皆さん、母の友人知人の皆さん、いつもご心配ありがとうございます。おかげさまで母は元気です。僕がいるので家族は大丈夫です(^.^)b

写真は自宅付近から見つかった都さん20歳の時のもの(無許可掲載…)

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災27日めの気仙沼


写真は仲町大通りの七夕飾りの竹籠。気仙沼市最大のイベント、8月のみなとまつり。仲町大通りでは歩行者天国にして大竹に七夕を飾る。今年のみなとまつりはどうなるかわからないけど、仲町大通り区間は壊滅したので中止だろう。

被害の大きかった魚市場前、仲町、弁天町は被災市街地復興推進地域の対象になることは避けられず、最長で2年間は新築、増改築、盛り土、掘削が禁止される。つまり2年間はもとあった場所での再開は出来ないということに。正式決定はまだ先だけど、単純に残念だ。

という訳で当面の間、仲町大通りは無くなってしまう。いつかはまた同じ場所に戻りたい。そう思っている人は沢山いると思う。

気仙沼の新しい都市づくり。僕も微力ながらどんどん出ていって役に立ちたい。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災26日めの気仙沼


写真はコヤマ菓子店のばんじゅう(お菓子を入れる箱)。

先日は弟2人の他に貝塚のけんちゃん、なおこちゃん、仙台から佐藤家のあつしさん、ゆきちゃん、そして武田ひろしくんと親戚の陣中見舞いが続いた。ありがたい。

それと貴史が中古のノートPCを買って来てくれた。デスクトップにはごみ箱のアイコンのみ。ほとんど何も入ってない。ネットショップ再開に向けて、ごみ箱ひとつからスタートだ。

肝心のネット環境と配送の安定はまだ先だけど、出来ることからやって行こう。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災25日めの気仙沼


土日で我が家の弟2人(次男貴史、三男晃宏)が東京から帰ってきてた。

金曜夜11時に貴史の車で東京を出発、仙台を経由して気仙沼には朝7時に到着した。

遅くまでの仕事の後、そのまま徹夜での強行軍だ。何も土曜の朝早く出て昼過ぎくらい到着でも良かったのにって言ったら

『少しでも早く気仙沼に帰りたかった。』

だって。震災後すぐにでも駆け付けたかったろうけと、こっちから家族は無事なので今は無理して来るなと言っていた。帰りたい気持ちを抑えつつ3週間が経ち、ずっとモヤモヤしながらこの日を待ってたんだろうと思った。

弟たちと3人でコヤマのあった場所へ。あまりに変わり果てた仲町に、もとあった場所もわからずただショックを受けていた。

周辺のがれきの山からうちのものを探す。少し掘ってみて、あ、このシール!これはうちのやつだ!これミキサーじゃない?思い出のものがひとつ出てくると、これは〇〇だ!お~スゲー!と、どんどん掘ってさらに探す、そして気付いた頃には4時間以上経過。軍手や長靴は泥だらけ、服は粉塵でほこりまみれになってた。弟たちがあまりにも真剣に探してたので、僕もつられて熱中した。軍手の下にはまめがつぶれてた。

自宅付近も捜索、晃宏が高校時代に使っていたドラムセットのドラムを捜し出した。貴文は大学の卒業証書を見つけ出せた。

帰り際、疲れた割にあんまり見つからなかったろう?と聞いたら

『そんなことより無事でいてくれて本当に良かった。』

って。がれきの山を夢中になって探したけど、どんな思い出の品よりも、家族が無事でいることが一番だと改めて思ったんだろう。

大丈夫!気仙沼は任せなさい!東京でしっかり稼いで親孝行してください。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災24日めの気仙沼


コヤマ付近のがれきの山から出てきました!気仙沼ホルモンMAP!他の気楽会グッズは全て流されてしまった。5年間の活動VTRやデータも全て消失、CDやDVD、みんなで作ったのれんやのぼり、案内課の看板やKATARI BARのテーブル、表彰状、数えきれない思い出が無くなった。

でもゼロから始めた気楽会。またゼロから始めればいい。仲間との絆は流されなかった。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災23日めの気仙沼


写真は昨日の気楽会の定例会の様子。6名集まった。仕事を始めている人が多くなってきた。いい傾向だと思う。仕事をする人も先が見えない不安もあるだろう。でも今までの経験を生かして“ここが自分の魅せ場”くらいの気持ちでやるしかない。情熱エンジンアクセル全開で刺激しあって頑張っていこう!

仕事が見つからない人も今は焦る気持ちを抑えてそのときを待つほうがいい。今は自分の出来ることをして1日1日を生きる、それでいいじゃない。

店からは何も持ち出せなかったけど、親父はお菓子のレシピだけ持ってこれた。

『これさえあればいつでもやり直せる。』

今後はどこかの工場の一部を借りれれば出来ることから再出発の予定。すぐに店舗は構えられないと思うけど、ネットでは『コヤマ菓子店』は近いうちに復活すると思う。必ず復活させますよ!o(^-^)o

まだパソコンもネット回線も無い。だけど僕がその武器を手にした時、再開へのカウントダウンは始まる。大丈夫、必ずやれるさ。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災22日めの気仙沼


見てください!大変です!

震災から3週間、奇跡を発見しました!

気仙沼大川には毎年多くの白鳥が冬の使者としてやってくる。一昨年の冬(2009年)に大川に飛来した1羽の白鳥、羽に怪我をしてしまい、かわいそうに1羽置いてけぼりに。“飛べない白鳥くん”と過去のブログで何度か取り上げた。驚くべきことに去年の記録的猛暑の夏を奇跡的に生き抜いた。更に2年めの冬、仲間はやってきたけど怪我は回復せず再び取り残された。暑さにも孤独にも負けずにたくましく生きていた。でも今回の津波で白鳥くんは流されたと思ってた。

そして今朝、親父が興奮気味に
『怪我した白鳥が生きてたぞ!!』と教えてくれた。朝飯も食べずに発見された場所へ!がれきの川と化した大川で元気な姿を見ることができた!

よくぞ生きてた!食べるものもないだろうに。まさに奇跡!こんなことってあるんだね。本当に良かった(T_T)

今日も1日頑張りますp(^^)

被災21日めの気仙沼


写真は自宅の駐車場から40メートルほどの場所で見つけた家の車。ダッシュボードからコヤマママの免許証とメガネ救出。ちなみにコヤマバンは店から30メートル離れたがれきの山の上で発見。こちらはただ見上げることしか出来ない。コヤマバンとは毎日いちごを買いに出かけた。冬の山道でスリップして沿道のたんぼに落下したこともあった。残念ながらこれでさよならだ。

道路に流されてた自宅とコヤマは解体されどちらも無くなってた。こちらも今までご苦労様、ありがとう。

昨日は救援物資がゆうパックで貝塚さん家に届いた。東京のちかさんから段ボール4個の特別想いの詰まった超特急便。箱を開けると種類別に小分けされ、それぞれに説明のメモが付いていた。細やかな気配りが感じられる最高の救援物資だ。両親も大喜び。ちかさんありがとうございます。

ちなみに東京気仙沼間だと26日に発送して30日に届いてます。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災20日めの気仙沼


昨日はお世話になっている貝塚さん家でアナログ放送が見られるようになった。約20日振りのテレビ。ノイズもあるけど、そんなのまったく気にならない。それまでの気仙沼以外の情報はAMラジオと新聞のみだった。他の被災地を映像で見たんだけど改めてショックを受けた。隣の陸前高田市や南三陸町も甚大な被害だ。所々寸断された鉄道の復旧はいつになるのか。

写真は唐桑巨釜半造の折石、心配したけど折れてなかった。気仙沼の大切な観光地が無事で良かった。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災19日めの気仙沼


東京から戻ったけいちゃんが震災後の気仙沼を見て絶句したと言う。あまりにも変わり果てた気仙沼。そう、テレビや新聞ではなかなか伝わらない悲惨な現状がある。

ただショックを受けても落ち込んでいられない。僕らにはやらなければいけないことがある。ガソリン満タン!やる気満タン!で長いトンネルをひたすら走るしかない。やる気の給油スタンドは毎度おなじみの気楽会!給油制限なし!情熱エンジン専用やる気ハイオクは毎日無料で絶好調提供中!いらっしゃいませ~!

さてさて、現在のガソリン給油情報としては気仙沼市内では、上限なしで(満タン)までできるようになった。順番待ちは日に日に解消していくことだろう。

ゆうパックや一部運送屋も宅配を再開。時間はかかるだろうけど物資も個人宅へ届けられるようになった。ただ送られてきた荷物が実際に手元に届くまでどのくらいかかるのかはわからない。うちの郵便物はいつ届くかな?住所変更はしたけど約20日分×2(店、自宅)の郵便物ってどれくらいあるのか見当もつかない。

写真は昨日の日刊スポーツ。ちなみにギターはまったく弾けません(汗)

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災18日めの気仙沼


昨日は岩手からぶっちさんが救援物資を届けに来てくれた。届いた物資を持ってるところを日刊スポーツの記者さんにパシャリ。今朝の日刊スポーツ全国版に名前入りで載ってる。何が届けられたかは新聞をチェックしてみてください。

それと昨日は秋田から親戚(じんいちさん、じゅんちゃん)が来てくれた。震災後2回目となる。今回もケータイラジオや物資をいただいた。ラジオは重要だ。電気はあるけど地元ケーブルテレビ局が完全に流されてしまったのでまだテレビの無い生活なのだ。

先日はお世話になっている貝塚さん家の仙台のようこちゃん、けんちゃん、なおこちゃんも救援物資とともに来てくれた。貝塚家は皆さん笑顔一番元気印、毎日の食卓はユーモアたっぷりの会話で笑いが絶えない。毎日食事が楽しみだ。

午後はしんちゃんと自宅から使えそうなものを持ってきた。写真はその帰り道。しんちゃんいつもありがとう!

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災17日めの気仙沼


昨日は東京在住の親父の同期生6名がトラックとハイエースで物資を気仙沼まで届けに来た。東京を夜に出発してこちらには9時半ころ到着。親父の同級生、つまりは気仙沼中学校20回生が30名程集合。お世話になっている貝塚さん家の玄関に物資を次々搬入。段ボールはあっという間に山の様に積まれた。それを協力して分配してるんだけど、みんな楽しそうにやってた。そう、これはちょっとした同窓会だ。先月還暦の歳祝いをしたばかりでこの大震災、強い結束力は更に太いものになっていた。やっぱ苦しい時だからこその同級生、物資ももちろん嬉しいんだろうけど、苦楽をともにしてきた仲間と顔を合わせることの素晴らしさだね、見ている僕にも十分感じ取れた。明日への一歩を、気仙沼での再起を抱き合いながら力強く誓い合ってた。

僕ら若い世代も負けてはいられないね。そして、世代を越えて、気仙沼、宮城、東北、日本、世界と。どんどん輪を広げて協力しあう。みんなでこんな震災に負けてたまるかってさ。

写真は自宅前の幸町公園。がれきの山だ。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災16日めの気仙沼


昨日は流された自宅から使えそうなものを探しに行った。しんちゃんに付き合ってもらった。諦めてた昔のアルバムを数冊発見。濡れてたけど、十分見られる状態だった。両親兄弟の他、死んだじいちゃんばあちゃんの写真もあって大収穫。かなり重かったけどしんちゃんのおかげで助かった。ありがとう!

写真は昨日の定例会の様子。6名集まった。ともさんがコーヒーとお茶菓子を持ってきてくれていつもの定例会みたいに笑顔のある話し合いになった。

気楽会関係では、27日にはぶっちさんが、28日にはあさだのけいちゃんが気仙沼に救援物資を持ってきてくれる。みんな心配してくれて本当にありがたい。

先の見えない状況ながらみんな前向きな発言ばかりなので、お互いに闘魂注入で情熱エンジンがまたまた元気に動き始めた。

来週の定例会は4月1日(金)12時~ワンテン2階にて。どなたでも参加OK。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災15日めの気仙沼


ライフラインの復旧とともに街中を歩く人にも少しずつ変化が表れた。一部の人の服装は被災当初よりは大分まともになってる。買い物袋の中身はカップラーメンやお菓子類中心だったけど、野菜や果物も流通し始め、バリエーションが増えてきた。

ただ未だライフラインの復旧の目処が立たない避難所や地域もあり、苦しんでいる人はまだまだたくさんいる。

今日は気楽会の定例会だ。12時よりワンテン2階。

写真は七十七銀行内脇支店近く弁天町の大島水産の前からミヤコーバス発着所方面への道路。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災14日めの気仙沼


お世話になってる古町の貝塚さん家のライフラインはようやく昨日水道が出た。ガスはまだだけど、お風呂や洗濯が出来るので大分楽になった。

僕は相変わらず足で情報収集。日中はひたすら歩いているのでかなり健脚になった。

緊急車両だけだったガソリン給油も一般にわたるようになり、街は少しずつだけど徐々に動きだしてきた。店舗、自宅と残った人はその片付け作業の日々だ。

それでも焦ることはない。自分の出来ることから少しずつやればいいと思う。とにかく先は長い。

写真はほとんど流されてしまった片浜。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災13日めの気仙沼


昨日は流されてた自宅から使えそうなものを運んできた。1階は無くなって2階の窓から入った。自宅は元あった場所から30メートル程流されて、道路の上にある。

昨日の記事に書いた小野寺伸さんに運びだすのを手伝ってもらった。自宅までの道程はかなり過酷で車はもちろん無理、徒歩でがれきを乗り越えて行かなければならない。交通規制がありやむを得ず本郷のレジオン脇に車を停め歩いた。

30分歩いて自宅到着。両親の衣類中心にどうにか家から出すことが出来た。ここからが大変だった。

高潮の影響でヘドロで足下がとられる中、ゴミ袋にして8つを2人で必死になって運びだした。がれきの上は重い荷物を背負うと予想以上に歩けない。休憩をいれて30分かけてわずか30メートルしか移動してなかった時はさすがに諦めかけた。でもどうにかこうにか車の通れる場所までたどり着き、車で運ぶ事ができた。それもこれも全部伸さんがいてくれたからこそ。本当に助かった。ありがとうございます!

写真はJR南気仙沼駅、周りは焼け野原がれきの山。レールの上には家や車、線路もぐにゃぐにゃ。これが復旧するまで一体どのくらいかかるのか想像も出来ない。

家に入るとき、最初に猫の名前を呼んでみたけど返事はなかった。2階部分は半分水が入ってないのでうまく逃げてどうにか生きてることを願いたい。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災12日めの気仙沼


コヤマがあったところのがれきの山から10年前に撮った写真を発見した。みなとまつりのときの仲町大通り。写真の現在の仲町と比べてみた。七十七銀行だけが残ってるかな。いつかまたみなとまつり、そして仲町大通りの七夕飾りを復活させると誓った。

昨日は仙台の親戚の佐藤家より数えきれない程沢山の救援物資が届いた。うちの家族は涙を流しながらひとつひとつ中身を確認してた。どんな思いでこの大量の物資を詰め込んでくれたんだろうと。

ありがたい、心強い、力がわいてきた!

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災11日めの気仙沼


昨日の夕方、山口県から32時間かけ軽自動車で小野寺伸さんが気仙沼に来てくれた。山口の親友マウンテンマウスからの救援物資満載で。

マウンテンマウスは兄妹デュオで歌で地域を元気にする活動をしているアーティスト。

マウマウは震災の翌日からのライヴで募金活動をし、その他の日も路上ライヴをして募金を募ってくれた。そのお金で物資を購入し今回伸さんが届けてくれたのだ。

なんてありがたいんだ。すぐに兄の“まーしー”に電話した。山口周防大島からの気持ちの入りまくった贈り物、しかといただきました。ありがとう!

感謝の気持ちは、僕らの今日からの“次の一歩”を強く踏み出すことで表そう!

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災10日めの気仙沼


被災10日め。
古町周辺は電気水道ガスは不通。ずっと風呂に入ってない。

流されてたコヤマの解体が始まった。コヤマは3階建てだけど、1階がまるまるなかった。20メートルほど移動してミートよねくらのとなりの道路上にあった。鉄骨が頑丈でなかなか壊れない。その様子を見てる親父の後ろ姿が何とも言えない。

『頑丈だ。ほら見ろ、鉄骨だから頑丈だ。30数年よく稼いだな。』

繰り返し頑丈だって言ってた。

ただ、うちの両親もお世話になっている貝塚家の皆さんをはじめ、秋田、仙台、親戚やいろいろ支援してくださる皆さんに元気をいただいて声が力強くなってきました。本当に感謝しています。

今日も1日頑張りますp(^^)q

被災9日めの気仙沼


写真は南が丘から。

右の建物がコヤマの向かいのミートよねくら、左の方に七十七銀行、仲町大通りは壊滅した。残念ながらコヤマはない。

ライフライン、古町は電気水道ガスがまだ来ない。

避難所の物資は食べ物以外の毛布、衣類はそれなりに揃ってきた。物資を援助したい方は当面は食料品がいいと思います。

うちの父隆市さん、母都さんも元気です。ご飯もきちんとたべてるので風邪もひかずにいます。

では今日も1日頑張ります。
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